プロフィール

 

社長の想い

『最初に相談される存在』に

UBUNTUが目指すもの。
それは『最初に相談される存在』。
どういう人が最初に相談されるのか。必要とされるには?一目置かれる存在になるには?

これをずっと意識しています。それはなぜか。

『人の人生は、人によって変えられる』そう思わせてくれた、自分の原体験を、お客さまにもさせてあげたい。

そんな想いでUBUNTUを立ち上げました。これからUBUNTUと『家族』になるであろうあなたに向け、創業の想いについて、代表・倉成の経歴とともにここに綴ります。

「I am like aple」偏差値24から72で大学へ。人生は変えられる

とにかく勉強が嫌いだった高校時代。「宮大工になろうかな」と漠然と思っていました。ところが高校3年の10月のある日、先輩に「何も考えずになろうと思うな。勉強をして、自分の選択肢を作って選べ」と諭されたのが、私の人生が変わる大きな機会になります。

当初はその気になった私でしたが、周囲の人は「どうせ無理だろう」と笑いました。ただ、担任の先生だけはこう言ってくれました。

「人より時間がかかるだろうが、お前なら絶対できる。」と。そこから本気で大学受験の勉強をしはじめたのです。

その日から1日14時間を机の上で過ごしました。「私はリンゴが好きです」を「I am like aple」と書いていた偏差値24からの一念発起。

浪人を経たものの、最終的には偏差値72で大学に合格しました。

先輩と担任の先生、二人の存在がなければ、大学合格はおろか受験すらあり得なかったでしょう。ここで『人には人の人生を変えられる力がある』と感じました。

それがきっかけで、大学入学後は教育の道を進むことになりました。

人生を変える『戦略』20代で塾長に

勉強ができない人の気持ちも、できるようになった人の気持ちも分かる。

それを武器に自分と同じような状況にある生徒に対し、『人生を変えるきっかけを創る』。

そんな想いで大学では塾講師のアルバイトに励みました。

教え子たちの思考や目線を変え、偏差値を30、40と上げていく。結果、本人も想像がつかないレベルに成長させることができる。

「大げさではなく、本当に人生が変わりました」とたくさんの生徒からお声をいただくことが原動力で、気づけば10年以上勤務するまでにこの仕事に熱狂しました。

本人の特性を生かして、戦略的に学習スケジュールを立て、行動する。今の仕事にも通じる姿勢のベースが、塾講師時代の経験にあります。

中学1年で入塾したある生徒は、英語の偏差値が27である一方、数学が得意でした。

普通なら「苦手な英語をやらせて数学はそのまま維持」という戦略になるでしょうが、私はあえて得意な数学をもっと伸ばすことにしたのです。

なぜなら、部活動に熱中している子で、物理的に学習時間が確保しづらい。

さらに時間が取れない中で、苦手科目と向き合うのは非効率ですし、何よりやる気も削がれるものです。

そのため、「部活動を引退するまでは、得意科目だけをとにかく学ぼう。

部活動が終われば勉強時間が確保され、学びの量が増えれば、英語も伸びてくる」と伝えました。

部活動の引退前は数学の学習に特化した結果、中学校3年生の夏には数学の偏差値が72、英語は偏差値50程度に。

引退してからはトータルの勉強量が増えて、英語の偏差値は60台後半になり、都立のトップ校に見事合格。親御さま含めてとても感謝されました。

この子はその後、慶応義塾大学に進学しましたが、「先生からの指導を受けなかったら、確実に合格できなかった」と言われたときの感動は忘れられません。燻っていた当時の自分を変えてくれたあの原体験。『人には、人の人生を変える力がある』という仮説を証明できたのです。

 

『一生』人と関われる仕事がしたい

こうした経験の積み重ねもあり、指導生徒数は延べ3000名を突破。

開成高校や筑波大学附属駒場中学校・高等学校、東京学芸大学附属高校、また都立のトップ校などに30名以上の生徒を輩出。また20代で塾長に選出され、1教室で売上1億も達成。初年度で全70教室のなかで最優秀賞を獲得することができました。

同時に複数の教室の全講師たちの管理も任され、プレイヤーとしてもマネージャーとしても非常に充実感のある時を過ごせたのです。

このまま塾講師を一生やり続けてもいい。そう思えるほどこの仕事に没頭していました。

ただ、一つだけ寂しさを感じていることがありました。塾講師の仕事は、あくまで高校受験の合格がゴール。

卒業してしまうと、それ以降の関係がどうしても希薄になるのです。

一生涯、人と直接関われるような仕事がしたい。

そう考えて私がたどり着いたのが『証券』という答えでした。

塾講師から証券マンへ。変わらない『For you』の想い

お客さまをずっと支えられる存在になる。そのためには、命の次に大切な『お金』を扱う仕事をしたい。そんな想いで金融の世界に足を踏み入れることを決意しました。

金融といっても、銀行や生命・損害保険などさまざま。その中で証券は株式・金利・為替・金融商品など見なければならないマーケットの幅が一番広い。

したがって、お客さまにとって、一番頼りになる存在になれると考えたのです。また、昨日と今日、もっと言えば秒単位で状況が瞬時に変わることもあるという意味で、一番緊張感がある仕事でもあります。広く深い、緊張感のある仕事ができれば、お客さまの奥深くに入り込める。そう想い、野村證券株式会社で証券マンとしてのキャリアをスタートしました。塾講師と証券マン。

一見全く異なる職業ですが、私からすればほとんど同じです。

お客さまのニーズをヒアリングして、それに対して最適なソリューションを行っていく。それが教育なのか、金融なのか、その違いだけです。また、数多情報がある中で、情報の取捨選択をすること。ここも共通しているでしょう。

いずれにせよ、UBUNTUの由来ともいえる『フォー・ユー』の精神を徹底しました。あなたの為に、という想いで話を聞くようにしているんです。

「この人なら何を相談しても大丈夫」という安心感を持てるように、場合によっては、証券以外でも貢献することが重要なのです。野村證券の一年目は、毎日飛び込み営業をかけます。

その中で茶寮を営むお客さまに飛び込んだときのこと。お客さま自身は資産運用に興味がなかったものの、近所の住職の方を紹介していただけました。

ご住職とその奥様からは、銀行で定期・普通預金をしていることを伺い、このままではあまり増えないこと、国が提唱する『貯蓄から投資へ』のスローガンと運用の重要性をお伝えしたところから、お客さまになってもらうことができました。

そこから、信頼関係を築き上げられたからなのか、ご資産全般のご運用を任せていただけるようになりました。

さらにご住職には、当時中学1年のご長男がいらっしゃったのですが、「英語が苦手で困っている」という相談を受けたのです。

塾講師の時代の経験もあり、「何とかしたい」という想いが沸き起こり、同時にお寺から、講習として英語教室の依頼を受け、月一回でやることを決意。そこから約3年講座を実施しました。培った教育のノウハウを地域の方々に還元できたことがうれしく、またありがたいことにそれが地方紙に取り上げられました。

株式会社タウンニュース社「英語の先生は証券マン」

とはいえ、誰からも認められる実績を多く残せた塾講師時代とは違い、野村證券時代は1年目にして苦戦を強いられたのです。

証券マンの1年目に求められるのは、新規口座獲得件数と資産の導入金額、件数は1年目で70件とまずまずでしたが、資産導入は1億5000万円程度。同期中の上位1割に入れず、残り9割の社員は『ブレイクスルー研修』を受けさせられるのです。塾講師時代で順風満帆だった自分にとっては、小さくない挫折でした。

ただ、そこでの研修が自分にとって大きなターニングポイントに。

当時は「結果」にこだわりすぎていて「行動」に着目できていなかったのです。

そこで誓った行動目標を1年間こなした結果、一気に結果を残せ、1年後には同期ではなく「全セールス」の1割しか参加できないハイレベル研修に参加できたのです。

証券マンとしてのキャリアを積むにつれて、証券以外のお悩みを聞くケースも増えました。

とあるお客さまからは、自分の子供に事業を継がせたくない。

責任が大きくて、大変な苦労をさせてしまうかもしれないというご相談をいただきました。

その中で、同族内承継以外にも従業員承継や第三者承継など、選択肢を提示したうえで、M&Aの専門業者をご紹介。

結果、M&Aにつながりました。お客さまからは「これで自分の子供の負担を減らせて、会社も従業員も守れたから良かった。倉成さん、ありがとう」とのお声をいただきやっていて良かったと思いました。

こうした実績を積み重ね、野村證券内のコンペでは二年連続M&A紹介数日本一を達成できたのです。

証券だけではなく『すべて』を任される存在になる

7年半野村證券に勤め、さまざまな知見を得ましたし、お客さまや優秀な仲間と出会うことでとてもいい経験をすることができ、自分の人生の中ではかけがえのない時間を過ごすことができました。金融だけではなく、ありとあらゆることにも相談に乗れる。

『運用の担当者』から『人として頼りにされている』独立した存在になりたい。

これが『プライベートバンカー』になろうと思う契機になりました。さらに、お客さまのニーズに応えるためには提携先が少なく、また主語はお客さまと考えた時の営業ノルマへの違和感、元々20代で塾長をした際のマネジメントスキルを活かしたいという想いがこみ上げるようになってきました。

これが、私がUBUNTUを立ち上げた理由です。

UBUNTUのこだわり

お客様の家族に。『五者の精神』を目指す。

UBUNTUは、『五者の精神を金融に』をミッションに掲げています。

教育者における五者の精神とは、「学者のように学べ」「医者のように生徒を診よ」「役者のように生徒を魅了せよ」「易者のように生徒の未来を見よ」「芸者のように生徒に寄り添え」と教育者に求められる役割を五つの「者」にたとえた言葉です。過去、私が務めていた野村證券時代のスローガンが「かかりつけ医になろう」というもの。UBUNTUではこれに『四者』を加え、金融業界に『五者の精神』を根付かせより広く、深くお客さまを支えたいと考えたのです。

お客さまにとって家族のような存在になりたい。そのためには『五者』を目指す。事実、優秀なプライベートバンカーは五者を自然にやっています。それを明確に意識し、実現できる組織を作りたいのです。社長の想いにも記したとおり、私は、人によって人生を変えてもらった。だから自分がそういう存在になりたいのです。その為にはまず必要とされる存在にならないと、そもそも人生に関わることが出来ない。

人は、何か岐路に立った時に、一目置いてる存在に相談するもの。UBUNTUは一目置かれる存在でありたいと考えています。

お客様の家族に。『五者の精神』を目指す。

何かを成し遂げたい。叶えたい。そう思ったときに必要になるのが専門家の力です。お客さまのニーズが多岐にわたる場合、それぞれの専門家に相談する必要があります。法律は弁護士、税金は税理士にというのが一般的でしょう。ただし、専門性の高いプロの方を探すのはもちろん、それぞれに依頼するのも多くの時間とコストがかかります。

そこでUBUNTUのプライベートバンカーが一人いることで、ワンストップで多種多様な専門家につなげられるのです。これによって、お客さまがさまざまな専門家を探さなければいけないストレスを極力減らすことができるのです。提携先・紹介先も多種多様となり、より決め細やかなサービスを提供できると確信しています。

「とりあえずUBUNTUに任せておけばいい」そうした組織を構築します。

メンバーも金融業界の出身者だけでなく、バラエティに富んだスタッフが集まっています。最初に相談される、何でも話せるような家族のような存在。AIには出来ない、プライベートバンカーならではの価値を提供することをお約束します。